私も80年代マイコン少年という世代ではあったが、別にヒットゲームを作ってお金をたくさん儲けたいと考えたことは一度もなかった

ITproのとある記事を読んでみたのだが、これがどうにも賛同できない。おそらくこの記事のライターさんとは同世代か近い世代だとは思うのだが、中村光一は知らんかったし(遠藤雅伸のほうが有名だった気がするがお金をたくさん儲けた人かどうかは知らない)、単にゲームプログラマーやゲームプログラミングへの憧れと、プログラミングすることの楽しさだけでプログラムのことを学んだものだ。

まず最初に確認しておきたいことが1つあって、それはこの記者が、プログラミング教育という全体的な話題において、ゲームプログラミングという個別的な事例だけを取り上げて論じようとしているという点である。
80年代を振り返れば、マイコン少年・パソコン少年というのはゲームから入っていく人が多かった。現在においてもエンターテイメントが興味の入口の定番であることは変わりなく、そのこと自体は否定する気は一切ない。
しかしプログラミング教育の必要性や課題の整理などを議論する際において、エンターテイメントを入口とすることのみで論じては何も始まらない。ましてやヒットゲームを作りましょう、一攫千金を狙いましょうなどというものを教育の手段として用いるようでは、世の中が求めるような教育基盤を構成できるとは思えない。我々はラノベ作家になるために国語を勉強するわけではないし、F1レーサーになるために教習所に通うわけでもない。

■80年代パソコン少年がプログラミング教育に思うこと – ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20130724/493744/

パソコン少年というか、いうなればマイコン少年といったところではないかと思うのだが、そういう些細な話はさておき。
NEC・富士通・シャープの8ビット機やMSXが全盛だったあの頃で、各メーカの出す8bit機を使ってゲームをする男子は多かったにしても、自らプログラムを作っていた人は私の周りにはそれほどいなかった記憶がある。なので、

「1980年代には誰に強制されることもなく、自発的にプログラミングに興味を持った子供が、全国津々浦々にたくさんいた」という事実

といわれても実感がない。むしろ自発的にプログラミングに興味を持つ子供が現在より多かったかどうかを考えると、そもそもコンピュータが一般的になる1995年(Windows95を起点としたとして)よりさらに10年以上も前と、これだけ普及し尽くしている現在とを比較したとき、圧倒的にプログラミングに興味を持つ子が多いのは現代ではないだろうか。

当時流行したベーマガ(マイコンBASICマガジン)という雑誌にはBASICを基本としたゲームなどのプログラムが何百本も掲載されていて、「俺、ゲームを作ったよ」とクラスで豪語していた95%以上は単にベーマガのプログラムを入力した=ゲームを作ったと言っていただけなので、実質自分でプログラミングをしていた人は自分も含めてごく少数だった印象が色濃い。

当時のマイコンはホビーの域を脱していないゲーム機の一種に近い感もあったわけで(必ずしもメーカが区分していたわけではないが、パソコンは企業の仕事道具、マイコンは汎用ゲーム機、みたいな位置づけでハードウェアもソフトウェアも発売されていたし、当時多くのコンピュータ雑誌もそういった扱いをしている場合が多かった)、ゲーム機ならファミコンで十分という子のほうが圧倒的だった。決して安くはないマイコン・パソコンを持っている子はごく少数だったし、コンピュータ=おたくというイメージも生まれ始めた当時、コンピュータでプログラミングといったら十分に気持ちの悪い希少生物的扱いを受けた。
特に第二次ベビーブーム前後の世代で子供の数は極めて多く、プログラマ人口密度は、現在と過去のコンピュータ普及率と若年層人口を考えれば明らかに現代のほうが密度は高いだろう。プログラマの絶対数も増えているのだとは思うが、昔と比べて需要も増えているだろうから、結果として今も昔も変わらずプログラマ人口が少ないというのが私の認識だ。

ちなみに私の恩師で元上司の方の息子さんは、自分で興味を持ってウェブサイトを作りFlashゲームをつくり小遣い稼ぎをしていたという。元上司はFlashを知らないので教えようもなく、ウェブで調べたりして独学で習得したようだ。
また数年前に青梅市の主催で子供たちにプログラミングを体験させる講座のサポート役をやらせてもらったことがあるが、夜にも関わらず多くの子供たちが参加してくれた。子供のプログラミング教育で使用する言語の代表格ともいえるScratchを用いた講座だったが、興味を持ってくれた子も多く、飲み込みのいい子は自分で改造まで始めていたほどだ。
こうした事例も知っているので、今の子供たちが過去の子供たちほど自ら積極的にプログラミングに興味を持たないという意見には安易に賛同しかねる。講座の件は親に連れてこられている子もいるだろうし自発的ではないという意見もあるかもしれないが、子供が興味を持たない講座に親が無理やり連れてくることは考えにくく、何らかの体験機会を与えたい親御さんの意思があることは前提としても、子供たち本人が「パソコンで何か作る」ことに興味を見出さない限りは講座に参加することはないだろうと考えている。

まあそうした分析は、根拠のあるデータも信頼性の高いデータもないので、さておくとしよう。

しかしのっけから、こういう文章にぶち当たるのだから、ちょっとグッときてしまう。
記事を読んで、どこか歪んでいるような視点で書かれた記事にも見えてしまうのは私の思い過ごしだろうか。
実は釣り針では? とすら思ってしまう。

「僕もプログラミングができるようになって自分でゲームを作りたい。ヒットゲームを作って、中村光一のようなスターゲームプログラマになって、お金をたくさん儲けたい」。

80年代のこの時代に、小学生低学年であったか高学年であったか、はたまた中学生であったか高校生であったかによって、どういったモチベーションに至ったのか判断するのは難しい。しかし小中学生が「お金をたくさん儲けたい」ことを第一義として意識するかどうかは甚だ疑問だ。少なくとも小学5年生の頃に初めてコンピュータなるものを触った私としては、経済的な面での憧れ(つまり「儲けたい」)などはなかった。自分以外の人の意識は調査したわけじゃないので知らないが、そうしたことを言っている友達は当時いなかったし、そうした話題もなかったと記憶している。むしろ「コンピュータの技術を知っていれば食うに困らないね」などと周りから言われ始めたのは1990年代に入った頃からである。

80年代におけるこの記者の環境や雰囲気が”中村光一のようなスターゲームプログラマになって、お金をたくさん儲けたい”というものであったとしても、それが当時の80年代マイコン少年たちを席巻していた重要な動機の一端であると断言できるほどのものではないということだけは言えそうだ。
ベーマガでも、ゲームプログラマになって金持ちになろうという記事などはなかったし、むしろプログラミング技術そのものにクローズアップし、その力を共有し育成・底上げしていくという傾向の強い教育指向の雑誌であったと思う。

つまりそれは、記者の言うところの”「イチローやダルビッシュ有選手に憧れてプロ野球選手を目指す小学生」と同じ構図”そのものなのである。
「イチローのように儲けたい」とか「ダルビッシュのように稼ぎたい」という野球少年はなかなかいないだろう。野球をやりたい子は、金じゃなく一流の野球技術を得たい一心でしかないと思うのだ。

かく言う私もプログラミングの世界で極めて高い能力を獲得したいという強い意思と、コンピュータを自分の意図通りに動かしているというプログラミングの快感のみで、この技術の獲得と将来の道を決定したようなものだ。お金の話などはもっとずっと年齢を経てからだったし、逆に大人になったら「プログラミングで大きく稼げる」などという夢物語など存在しないという厳然たる事実に直面し、そんなことなど考える余裕もなくプログラミングをし続ける生活に入ったという感すらある。

1点だけ、この記事で共感する箇所を上げるとしたら、

「自分ももっと高度なプログラミングができるはず。ベーマガに載るようなプログラムを作るぞ」

の部分であろうか。
これは確かに、当時多くのプログラミングを志した人の憧れであったのではないだろうか。私はゲームのアイデアが浮かばずにゲームを作ることはほとんどしなかったのだが、1行プログラミングとかシンプルプログラミングなどはかなり必死になって勉強したり真似してみたりした記憶はある。そうした中で掲載プログラムから多くの学びも得られたことは間違いない。今のようにインターネットもSNSもない時代に、当時の切磋琢磨する闘技場の代表格であったし(他のコンピュータ雑誌に比べて飛びぬけてプログラム掲載数は多かった)、それは格闘している人(掲載者)も観客(読者)も奇妙な形で一体化していたような錯覚にさえ陥るような、今では絶対に成し得ることのできない雑誌であっただろう。

80年代のパソコン少年からわかることは、環境さえ整えば、小中学生はいくらでも自発的にプログラミングに挑戦する、ということだ。

残念ながら、ここについても賛同するわけにはいかない。「環境が整う」という基準をどこに置くかにもよるが、少なくとも私はBASICのプログラムができる8ビット機(SHARP X1Gでした)を入手したのは高校生になってからだ。
それまでは街の電器屋さんで取り扱っていたPC-8×01MSXなどの店頭展示でプログラミングをしただけだし、じゃあそのプログラムをどうやって作ったかというと、ノートやメモ帳に手書きで書いていたのだ。その手書きの(あるいは暗記している)コードを電器屋でひたすら打ち込み、動かなければデバッグし、ようやく実行してニンマリとするという数時間立ちっぱなし電器屋大迷惑行為をひたすら休みの日に繰り返していたのだ。
まあ、電器屋に展示品があったということが、この場合の環境整備の意味を持つなら、それは否定しない。しかし本当にやりたい子は環境如何ではなく、ただひたむきに考え、今できることを実行に移すだけだ。野球が本当に好きなら、バットがなくても傘や木の枝で素振りをするだろう。ボールがなければ石ころでも投げるだろう。

問題は環境などではなく、そのことに熱くなれるかどうか、三度の飯よりそのことに没頭できるほどハマり込むかどうか、というだけのことである。
環境はあとから付いてくる。なければ自分で作る。私は親にすら環境を与えてもらったことなどないのだ。

では、その肝心の、子供たちを”熱くさせる”方法とは、なんだろうか。

そんなものはないw
熱くなれるかどうかは、そのことに無条件の快感を見出せるかどうかであるからだ。
スマフォでアプリを使う子供は数多いだろうが、それを自分で作りたくなるかどうかはその子の感情次第であって、何か人為的に形成できるようなものではない。
環境要因で強いてあげるとしたら、たとえば親がエンジニアであるとか、親が希望してその子にプログラミングを指導・教育を施すなど、ごく限定された状況ではないだろうか。

もちろん現代にそのような環境を意図的にでも作れるのかと言えば、それはほとんど不可能だ。だからこそ小中学生へのプログラミング教育の必要性が唱えられるのだろう。

環境があれば教育は不要で、環境がないから教育が必要であるという問題ではないはずだ。必要性が問われるなら、環境や機会に関係なく取り組むべきであろう。

あと、まとめがかなりひどい。

かつて中村氏が、当時多くのパソコン少年が持っていたPC-8801で「ドアドア」を作ったように、自分が使っているプログラミング環境で、がんばれば「App Store」や「Google Play」に公開できるアプリも作れると子供が思えることが重要だ。プログラミングには“一人で黙々とやる”というイメージがあるが、実はそんなことはない。プログラミングはとても社会性の高い行為なのだ。

“社会性の高い行為”の意味や定義は不明だが(ハイソってことなのか?)、マーケットにアプリを公開することは社会性を有した行為だと言いたいのだろうか。
社会性に高いか低いかなどということはそもそも規定できるものではないと思うし、プログラミングやアプリの公開などというものが、子供たちの社会の中において重要度の高い位置づけにあるとは考えにくい。プログラミングという行為が独りよがりではなく社会性の求められる行為だと言いたいのであれば、これもまた文章的には奇妙にも見える。いったいこの記者は何が言いたいのだろうか?

前段の「かつて中村氏が(略)作ったように、」というのは、まとめの文章においては何の脈絡もない。ここで中村氏の件を引き合いに出すのは単純に記者が文章構成の都合上、前置きで語った中村氏の話題で最後を締めるためだけに持ち出されたものとしか思えない。このまとめだと「環境の整った中村氏はドアドアを世に出すためにプログラミングをがんばった。今の子供に必要なのは、アプリのマーケットに自作アプリを公開可能であることを環境として保全し、プログラミングという社会性の高い(?)行為についてがんばりたいという思える状態を作り出すこと」と読める。

そんな発想で、はたして子供たちがプログラミングを楽しみ、将来の自分の職業にまでしようと思えるような環境が生まれるだろうか。
私はとてもそうには思えないのである。

一攫千金を夢見てプログラミングを学習しようとする子供たちが仮に急増したとして、そこまではよしとしても、その後プログラマでは一攫千金が成し得ないと理解できる年齢に達したとき、彼らがどのような道をたどるのかは興味深い。技術習得が一攫千金の手段なのか、あるいは技術向上そのものが目的なのかによって、大きく路線は分かれるだろう。前者がモチベーションで、しかし目的達成が困難であることが分かった場合の路線変更は目に見える。金で動く気持ちなどというのは、私はその程度のものだと思っている。金では成し得ないことに熱くなれるから、その道を目指すのではないか。それはプログラミングだけではなくアーティストにせよアスリートにせよ研究者にせよ同じではないか。

それより何より、一攫千金のチャンスがあるからプログラミングをやりましょう、という触れ込みで機会創造する大人の元に集まってくる子供たちというのを想像するだけで、私はなんだかちょっと胸が苦しくなるのである。

おまけ

■高校時代の数学の先生の教えに倣い「プログラミングは頭じゃなく手で覚えるのです」を説く
http://ultrah.zura.org/?p=2597

[改訂新版] これからはじめるプログラミング基礎の基礎プログラムはなぜ動くのか 第2版 知っておきたいプログラムの基礎知識小学生からはじめるわくわくプログラミングおうちで学べるプログラミングのきほんていねいに基礎を固める プログラミングの入門書 (日経BPパソコンベストムック)

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